2020/11/24(火)

今日は朝から授業→カテキョ

 

カテキョの生徒が勉強しない。

 

スマホ依存で、なんとなくやってれば高校生になれると思ってやがる。

 

どうしたものか。

 

今日は帰ってからの時間を使って今後の計画を立てた。

 

宅浪を思い出す。

 

細かなスケジューリングで少し安心感を覚えるが、なかなか思うように人生は進まない。

 

明日は先輩たちと飲み会の予定が入ってしまっている。

 

何としても、23時には家につけるように、遅くとも22時には切り上げねばならぬ。

 

本当に、時間が無い。

 

今までのツケが回ってきている。

 

カテキョの生徒に偉そうに説教垂れる立場では到底ない。

 

継続、継続。

 

禁煙は4日目を終えようとしている。いい調子。

 

今度は積極的な活動を継続して、自己改革に励みます。

 

頑張ろう。

2020/11/22(日)

やってしまった。

 

また同じパターンだ。

 

この日は朝から携帯販売。

 

憂鬱なインターンが一日終わり、帰宅。

 

21時30分頃、カワイイ彼女からバイトが終わったという連絡が入る。

 

少しだけと、落ち合うつもりが、別れたのは翌日19時。

 

本当に、こういうところがどうしようもないんよね。

 

三日坊主にすらなっていない。

 

浪人の時から変わっていない。

 

まあ、やってしまったことは仕方ない。

 

というか、こんなことはこれからの人生腐るほどあるだろう。

 

問題はどうやって次の不確定要素に対処し、軌道修正するかだ。

 

さて、まずは明日の予定から。

 

明日は2,3,4,5限とオンライン授業のオンパレード。

 

それから18:30には家庭教師だ。

 

自分の課題に充てられる時間は20時ごろから就寝まで。

 

まずは、朝起きて、自分の課題をピックアップ、所要時間の算出と優先順位をつけるところから始めよう。

 

あと、睡眠は絶対7時間は必要やな。

 

6時間では起きられんし、頭が回らん。

 

頑張ろう。

2020/11/21(土)

昨日というか、今日の続きだ。

 

今日は朝から携帯販売のインターン

 

そんなことはどうでもいい。

 

私の哲学についてであった。

 

中途半端なところで前回の記事が途切れていたが、答えはそこにある。

 

つまり、感情で物事の進度を左右するのを辞めようということだ。

 

これまで私は、「やりたくないからやらない」ということに自責の念を覚え、苦しんでいたが、問題はそれだけではなかった。

 

感情に任せて「やらない」ではなく、「やってしまう」ということも問題の一つであったのだ。

 

具体的に説明しよう。

 

例えば、テスト前、試験勉強をしなければいけない状況があったとする。

 

この時、私のような怠惰な人間は、やる気が出ずに怠けてしまう。

 

それか、好きな科目の勉強ばかりやってしまって、やらなくてはいけないことから積極的に逃げようとする。

 

これでは、いけないのだ。

 

「好きなことで生きていく」ほど、私の好奇心は相対的にも絶対的にも強いものでもなく、周囲の評価を気にしすぎてしまう性格である。

 

これを変えることはなかなか容易なことではない。

 

こう書いてみると、度胸が無く、「いい子」を演じようと必死に見えてしまうものである。

 

しかし、自分の強みは、瞬発力でも、粘り強さでもなく、ましてや人の好さでもない。

 

徹底的に客観的になり、物事の原因を突き止め、言語化する力である。

 

そして、私が半年後に入るのは、コンサルティング会社。

 

何も知らない、何もできない自分が、「やりたくないこと」を押し付けられることなんて目に見えている。

 

そんな中で牙を磨き、信用を得て、初めて自分のやりたいことができる世界だ。

 

とにかく高い処理能力と徹底した自己のマネジメント能力が試される。

 

それがあってなお、他人の会社に口出しできるかどうかなんて分からない世界。

 

欲にかまけて、ぜい肉を肥やしている奴なんてお門違いもいいところだ。

 

 

と、長くなってしまったが、要は、自分をマネジメントする方法である。

 

知行合一という第一哲学を持ち、

 

行動を欲望に左右させない(やりたいからやり続けるでもなく、やりたくないからやらないでもない)

 

欲望の制限。

 

そのためには、時間という絶対的なもので区切ってしまおうという話です。

 

行動計画の立て方としては、

 

「やるべきこと」をピックアップ。

 

優先度を振る。

 

各行動に要する時間を予測する。

 

行動順序を振り分ける。

 

(予想した)時間通りに行動する。

早く終わりすぎても、時間がかかりすぎてもアウト。

この、自分の能力を知り、予測を立てるという力を養う。

 

もちろん、欲望の解放に充てる時間も設けたうえで、計画、行動する。

 

「やりすぎない、やらなさすぎない」

 

これをモットーとして、徹底的に頭を使って、取り組む。

 

卒業までに自己のマネジメント能力を育み、試し、示すことができれば、あとは新しい環境に適応させていけばいいだけよ。

 

ほな、そういうことで。

2020/11/21(土)

深夜二時。

 

私には哲学が無い。

 

「好きなことで生きていく」だの、「好きなことを仕事にすれば辛くない」だの「自分らしく生きよう」だの、昨今は欲求に従順な若者を怠惰の縁へと扇動するような企業の謳い文句であふれている。

 

かく言う私も例外に漏れず、誰が作ったかも分からないムードに乗せられてしまったようで。

 

人は、基本的には、見たいものを、見たいようにしか見えない生き物である。

 

いわゆる色眼鏡ってやつだ。

 

これがあるから○○主義とかいう思想が生まれ、翼の左右で争い、SNSでは些細なことで炎上する。

 

私はそれを否定するつもりはないが、常に自己の立場を批判的に捉え続ける必要はあると思う。

 

それは、周囲の人を無為に気づつけないために、成熟していない人物に対してやりこんだりすることが無いように、対等な立場で物事を述べるという姿勢を失わないために。

 

そういうことを考えていると、今の自分が恥ずかしくなってくる。

 

「自分らしく」なんて言葉を自分の欲求を正当化する盾として使い、他者を拒絶し、自らの理想までも遠ざけてきた。

 

それならよっぽど自分の欲求と闘っていた18、19の時の方が輝いていたように思う。

 

いまでは、あの頃のような苦しみや悔しさこそ無いが、その反面、激烈な感情、頭が真っ白になるほど熱中することも無くなってしまった。

 

本当に、退屈だ。

 

許す(諦める)ことを覚え、大人になった気でいて、面倒なことには首を突っ込まないように。

 

下手に頭を使うことを覚えてしまった、何の魅力も無い人間である。

 

「このままでは、死んでいるのと変わらない」

 

そう感じることができる、心の隅にある小さな灯が消えないうちに、何か行動を起こさなくてはならない。

 

そんなことを思って、このような形で自己への挑戦を記録に残そうと考えた次第である。

 

 

とは言ったものの、何か目標があるわけではない。

 

要は、自分の中の弱さを許さず(拒絶し)今の平凡な、欲にまみれた自分から脱却しようというだけである。

 

こうした、答えが無い状況では、何か決断する指針のようなモノが必要になる。

 

いわば、哲学のようなものだ。

 

これが無いから、「気が乗らないから」と、その場の欲求に身を任せ、何も得るものがない現状に陥っていたように思う。

 

哲学だなんて、大それたことを決めようとすると、またそれだけで時間がかかってしまうのではないか。

 

そう考えかけたが、一番身近なところに哲学は転がっていた。

 

「知行」

 

これは私の名前だが、由来は陽明学の「知行合一」という言葉から来ている。

 

本来的な意味合いは忘れたが、幼い頃、親に名前の由来を聞いた時、

「知識と行動力を併せ持った人になってほしい。頭の中で分かっていることも、それを行動に移すことができなければ、分かっていないのと同じことだからね。」と言われた記憶がある。

 

私は折につけ、この言葉を思い出して、生きてきた。

 

しかし、最近はこの言葉から逃げ続け、無いものとしてきた。

 

今一度、私の一番身近にあるこの言葉を、私の第一哲学とし、生きていくことを、ここに誓おう。

 

「やらなければいけないと分かっていて、やらないのは、まったくわかっていないことと同意」

 

これはいわば禁欲主義のようなものだ。

 

果たして私に、欲にふける三日坊主で飽き性の私に、こんな高尚な生き方ができるであろうか。

 

何しろ私は精神論や根性論が大嫌いな人間だ。

 

そんなもので片付けられたら、根性がない人間や、精神が薄弱な人間が救われないし、選民思想に近いものになる。

 

私は、凡人でも理性の力を借りることで、それなりに自分に打ち克つことができると信じているし、それを証明したい。

 

だから、私が、なぜ今まで何も続かず、欲に負け続けてきたのかということを徹底的に考えた

 

その結果、習慣化のための以下の仮説を用意するに至る。

 

習慣化のために

  • 徹底的に精神論を排する。